2012年03月28日
ほんまもん
大人になって結婚したり子供が出来たりして生活環境が変わると
あんなに毎日のように会って無限におしゃべりをしていた友人や
お互いの人生の酸いも甘いも知り尽くしている幼なじみと会えなくなる。
それでもふとした瞬間に思い出すことはいくらでもあって、
最近思い出したのが、誕生日の近い幼なじみ随一のキャリアウーマン。
二十代前半で某社の営業トップで人事マネージャーも任されていた彼女は
職場も近く、よくお揃いのスーツを着てお茶したり、おしゃべりに興じたものだが
そんな彼女が当時よく話していたのが
「本物に出会うことの大切さ」
だった。
彼女のいう”本物”とは、あらゆる美術品や工芸品の一流品であったり
それを作り出す人だったり、それにまつまるあらゆるエピソード。
その中でも私達は希少石と呼ばれる宝石が大好きだったので、
時折ホテルで開催される宝石販売展示場へ、品定めに出かけたりもした。
当時のわたしの経済力ではとても買えないお値段のものばかりだったけど、
「早いうちから本物に触れておくと、いつしか手に入れられるだけの人間になれる。」
というのが彼女の持論であり、
私は彼女のそんな心意気に心から感心していた。
本物と言えば、私の実家稼業が繁盛していた時代に
祖母や母が購入した着物、宝石、家具、その他諸々が
当時沖縄で入手出来る範囲での、いわゆる一流品であり、
いま思えばさぞかし素晴らしい品々だったのだろうけど
母達の買物道楽に付き合わされるのは、
幼い私には迷惑そのものであり、退屈な時間でしかなかった。
しかし華やかな時代も陰りがさし、戦後祖父母が盛りたてた稼業も傾き、
バブルもはじけ就職氷河期になっていく。
その頃になって初めて己の幼少期がいかに恵まれた環境だったかを痛感させられた。
そんな時代にあっても絶え間ない努力でキャリアを積み続ける
彼女の生き方や向上心に学ぶことは多かった。
そして彼女は本物や一流品を好んだが、身の程過ぎた贅沢や浪費を嫌った。
どんな時代でも、常に蓄財し次に向けての備えを怠らない
その日暮らしの呑気な私とは正反対で、
あの若さにして殊勝な価値観と持論の持ち主だった。
そんな我々も30代後半となり、毎年恒例の近況報告もかねたバースデーメールには
前職の不当解雇という不遇を立派に乗り越え、
新しい勤務先で早くも管理職につき、新人教育に奮闘する彼女の近況が綴られていた。
そのメールを読みながら、彼女から教えて貰った数々の哲学的価値観を反芻する。
いま彼女と話をしたら、どんな生きる哲学を披露してくれるのだろう。
再会に備えて、新しい体験や価値観を仕入れることが、私のライフワークの一つに
なっているといっても過言ではない。

Posted by umiunagi at 04:29│Comments(2)
│日々
この記事へのコメント
こんにちは。
宝飾品に限らず、本物をとか生ものを見るのは必要なことだと思います。
そうじゃないと本物との差がわからないどころか、本物が受け入れる度量が無くなるんですよね。
宝飾品に限らず、本物をとか生ものを見るのは必要なことだと思います。
そうじゃないと本物との差がわからないどころか、本物が受け入れる度量が無くなるんですよね。
Posted by オバネヤ
at 2012年03月31日 13:33

オバネヤさん
コメントありがとうございます。
仰る通りで、本物に触れるほど己の度量も
広がりを見せるのだろうと思います。
まだまだ見たいもの・触れたいもの
沢山ありまするー。
コメントありがとうございます。
仰る通りで、本物に触れるほど己の度量も
広がりを見せるのだろうと思います。
まだまだ見たいもの・触れたいもの
沢山ありまするー。
Posted by umiunagi at 2012年04月01日 05:37